(以下、 The Yesterday's Paper から転載)
2010年12月27日
<フクロウ5羽が、大田区の多摩川河川敷にねぐらを作り、住民の間で「散歩の楽しみが増えた」などと話題になっている。 日本野鳥の会(品川区)によると、「トラフズク」というフクロウの仲間。 雪が苦手で、冬に数羽から数十羽の群れで本州以北の寒冷地から暖かい地域へ南下してくるが、都心部で見つかるのは珍しいという。 ネズミやモグラ、小鳥などの餌を捕まえやすい河川敷で、身を隠す常緑樹があるなど条件がそろっているためではないかとしている。 同会自然保護課の葉山政治さん(53)は「人が集まったり、フラッシュを使って撮影したりすると、ねぐらを放棄してしまう恐れがある。 移動する春まで静かに見守ってほしい」と話している。>(2010年12月23日付け読売新聞)
この記事の見出しは、「多摩川河川敷にフクロウ『静かに見守って』」。
それから数日後、ジョギング代わりにしているマウンテンバイクのサイクリングで、いつもは人気のない多摩川の川岸を走っていたら、見慣れない人の群れに出くわした。 誰もが長い望遠レンズを装着した一眼レフ・カメラを持っている。
彼らは皆、頭の真上の樹木をみつめていた。 見上げて見ると、見慣れない姿の鳥が数羽、枝にとまっていた。 どうやら、新聞に出ていたフクロウらしい。 フクロウたちは、人間たちに静かに見守られてはいなかった。
自宅のまわりに人だかりがして、一斉に自分の居間が覗かれていたら、誰だって頭がおかしくなる。 フクロウだって同じだろう。 たまったものではない。
「静かに見守って」と新聞が報じれば、逆に騒がしくなるに決まっている。 とはいえ、この珍しい光景は、やはりニュースであろう。
この報道は正しかったのだろうか。
フクロウが早々にねぐらを放棄して姿を消したら新聞の負けだと思う。 それにしても、新聞は報じる前に、その是非を検討したのだろうか。 まさか、していないとは思わないが。
2011年1月10日
多摩川のフクロウに群がる霊長類ヒト科カメラ族の数は、年を越しても減る気配はない。
さらしものにされた可哀想なふくろうたちよ!!!
カメラじじいと呼ばれる年寄りたちは、巨大な望遠レンズの重さに耐え、腕をぶるぶる震わせながら樹上のフクロウを捉えるシャッターチャンスを狙っていたが、明らかに手ブレ防止装置の限界を超えていた。 あの振るえは本格的寒気による強い北風のせいもあろうが、自分の実力を無視した喜劇であろう。
有名な女写真家ヘニー・ファン・ヘールデンがベンガルワシミミズクの迫りくる飛翔を見事に捉えるCanonのテレビCMを真似しようったって、そうはいかない。
高額なカメラとレンズをいじくる快感に没頭するオタクたちには、彼らの標的となったフクロウたちの心情を慮る神経が欠如している。 彼らのそばを通るとき、覗き魔変態集団の薄気味悪さを背筋にぞくぞく感じる。 これも寒さのせいだけではないと思う。
2011年2月2日
衆人環視のもとでの生活を強いられた多摩川フクロウの悲劇は、いくつかのきっかけが重なった結果であろう。 どれか一つに責任を負わせることはできないが、明らかに、きっかけの一つを作った人物を、ほぼピンポイントで特定することができた。
哀れなフクロウたちの居場所から遠くない駅近くの商店街の熟年男だった。
本人に悪気はまったくなく、無邪気に色々なヒトに見てもらいたいと思って、新聞社に電話で通報した。 新聞は場所をぼかして、珍しいフクロウの飛来を報じたが、地物の口コミもあいまって、たちまち知れ渡ってしまった。
通報した人物は、新聞が場所を明確に伝えなかったので、役所の広報課にも電話をして、問い合わせがあったら教えるようにと詳しい場所を伝えた。
善意の人なのだ。 きっと周囲の人たちに好かれる親切なオジサンであろう。 そして、フクロウの写真を撮ろうと連日集まる人々も、動物と自然を愛する優しい気持ちを、心の中に多少は持っているだろう。
フクロウたちは、かれこれ2か月も人間たちに連日覗かれながら、けなげにも同じ場所で動かずに耐えている。
そろそろ”視撃”から解放してやりたいが、好奇心をいう魔物がそれを許そうとしていない。
2011年3月16日
巨大地震・津波が起きる直前の3月11日午前中には、確か2羽がいたと思う。 だが、2日前には1羽しか見なかった。 そして、きょう3月16日は、朝から1羽も見なかった。
東京・大田区の多摩川河川敷に昨年12月から棲みついた6羽のフクロウは、たちまち人間たちの好奇心に晒され、3か月間にわたりカメラという狩猟道具の標的にされ続けた。
年が明け、ハンターたちの数が膨らむにつれ、フクロウの数は1羽ずつ減っていった。 いったい、どこへ行ったのだろうか。 ストレスで死んでしまったのだろうか。
彼らが棲んでいた柳の木は、まるで空き家のようだ。 留守になった枝で戯れているのは騒がしいムクドリだけ。
短い期間だったが、多摩川のスーパースターになったフクロウたちが、どこへ消えたのか、誰も知らない。
2011年5月11日
日本を代表するカメラメーカーCanonの社名は、1935年、世界で通用するブランド名として採用された。 キリスト教の「聖典」「規範」を意味し、精密機械にふさわしいというのが理由とされる。
英語で1字違いのスペルcannonは、発音は同じだが意味がまったく異なる。 戦場で昔から使われてきた代表的な大砲のことだ。
近ごろ、野生動物の撮影と称して、兵士のように迷彩服で身を固め、長大な望遠レンズを担いでいるマニアックな人々を見ると、Canonは、社名をCannonに変更してもいいのではないかと思ってしまう。 あの望遠レンズは、みかけがRPGロケット砲みたいだというだけではなく、実際、命を脅かす武器にもなるからだ。
川崎市・平間のベテラン写真家K氏が語るカメラ・フリークたちの生態はおぞましい限りだ。
この冬、東京・大田区の多摩川河川敷にフクロウの1種、トラフズクが棲みつき、カメラを担いだ人間たちが群がった。 彼らは、夜行性のトラフズクが樹上で休んでいる昼間、情け容赦なく望遠レンズ=大砲の集中砲火を浴びせた。 K氏によると、動物へのいたわりの気持ちがかけらもない連中の存在は、今に始まったことではない。
約10年前までは、多摩川の川崎側でトラフズクを見ることができたという。 当時も、その存在が知れ渡り、カメラ人間たちが群がった。 昼間は目を閉じて休んでいるトラフズクを長い棒でつついて起こして、目を開けた写真を撮ろうとするヤツまでいたと、K氏は憤慨する。
このころは、コミミズクも多摩川に棲んでいた。 コミミズクは昼間も行動するので様々な絵柄の写真を撮れる。 狙い目は、河川敷に巣食う野ネズミを急襲する瞬間だ。 だが、水辺ぎりぎりまでゴルフ場の芝が敷き詰められてた河川敷の餌場は限られている。 ところが、狼藉者たちは、ずかずかと餌場に入り、ネズミの巣穴の上に立ってカメラを構える。 これではコミミズクがネズミを捕らえることはできない。
K氏は「鳥の気持ちを少しは考えろ」とたしなめた。 すると、その相手は「オレは鳥じゃないからわからん」とうそぶいた。 それでもK氏は、群がる無法者たちに丁寧に説明して、餌場の外で撮影するというルールだけは守るようにさせた。
それからしばらくして、その餌場は多摩川の大水で冠水した。 以来、川崎側ではトラフズクもコミミズクもみかけなくなったという。
ちょうど、聳え立つCanon本社を眺めることができるあたりの出来事だ。 Canonが武器商人でないなら、カメラを野生動物迫害の兵器にさせない努力をすることが企業責任というものだろう。